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言い継ぎ行かん後の世に

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1名無しさん@おーぷん:2017/11/09(木)10:29:53 ID:???
偶に浮上します
無駄な説明はありませぬ
27愛宕 :2017/11/12(日)08:37:11 ID:???
美しい祖国は、大らかな益荒夫を生み、大らかな益荒夫は、気高い魂を祖国に残して、新しい世界へと飛翔し去る。

「現在の一点に最善を尽くせ」 「只今ばかり我が生命は存するなり」 とは私の好きな格言です。
生まれ出でてより死ぬ迄、我等は己の一秒一刻によって創られる人生の彫刻を、悲喜善悪の肖像を刻みつつあるのです。
私は一刻が恐ろしかった。
一秒が重荷だった。
もう一歩も人生を進むには恐ろしく、ぶっ倒されそうに感じたこともあった。
しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であろうと、悪であろうと、悲しみであろうと、喜びであろうとも、刻み刻まれて来たのです。
私は、私の全精魂をうって、最後の入魂に努力しなければならない。

私は誰にも知られずそっと死にたい。
無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散っていったことか。
私は一兵士の死をこの上なく尊く思う。
28阿賀野 :2017/11/12(日)11:58:33 ID:???
人間の迷いは実に沢山ありますが、死に対するほど、それが深刻で語りきれないものはないと思います。
これだけはいくら他人の話を聞いても、本を読んでも結局自分一人の胸に起きる感情だからです。
私も軍隊に入るときは、それは決死の覚悟で航空隊を志願したのですが、日と共にその悲壮な謂わば自分で自分の興奮に溺れているような、そんな感情がなくなって来てやはり生きているのは何にも増して換えがたいものと思う様になって来たのです。
その反面、死ぬ時が来たなら、それは誰だって死ねるさ、と言う気持ちを心の奥に常に持つようになります。
然し本当に死ねると言っていても、いざそれに直面すると心の動揺はどうしても免れる事は出来ません。
私の今の立場を偽りなく申せば、このことなのです。
私たちは台湾進出の命を受けてジャカルタを出ました。
いよいよ死なねばならぬ、そう思うと戦に臨む湧き上がる心より、何か、死にたくない気持ちの方が強かったりするのです。
わざわざジャワから沖縄まで死ぬため旅を続けねばならぬ、そのことが苦痛にも思えるのです。

求道

戦死する日も迫って、私の短い半生を振り返ると、やはり何か寂しさを禁じ得ない。
死という事は日本人にとってはそう大した問題ではない。
その場に直面すると誰もがそこには不平もなしに飛び込んで行けるものだ。
然し私は、私の生の短さをやはり寂しむ。
生きるという事は、何の気なしに生きている事が多いが、やはり尊い。
何時かは死ぬに決まっている人間が、常に生に執着を持つということは所謂自然の妙理である。
神の大きい御恵みがそこにあらわされている。
子供の無邪気さ、それは知らない無邪気さである。
哲人の無邪気さ、それは悟りきった無邪気さである。
そして道を求める者は悩んでいる。
死ぬために指揮所から出て行く搭乗員、それは実際神の無邪気さである。

和歌

雲湧きて 流るるはての 青空の その青の上 我が死に所
下着より すべて換ゆれば 新しき 我が命も 生まれ出づるか
あと三時間の 我が命なり 只一人 歌を作りて 心を静む
ふるさとの 母の便りに 強き事 云いてはをれど 老いし母はも
29阿武隈 :2017/11/12(日)13:11:26 ID:???
身はたとえ 千尋の海に 散り果つも 九段の杜に 咲くぞ嬉しき
30五十鈴 :2017/11/12(日)17:38:16 ID:???
面たれて 涙隠せる 我が妻の 心をくみてぞ いざたち征かん
31大井 :2017/11/12(日)17:44:00 ID:???
かくばかり 世界全土に 凄まじき 戦の果ては 誰か見るべき
32大淀 :2017/11/13(月)18:45:15 ID:???
この土の 連なる果てに 母ありて 明日の壮挙の 成るを祈らん
33 :2017/11/13(月)18:46:24 ID:???
益荒雄の ゆくとふ道の ゆききはめ わが若人ら 遂に帰らず
34秋風 :2017/11/13(月)18:49:45 ID:???
矢弾丸尽き 天地染めて 散るとても 魂帰り 魂帰りつつ 皇国護らん
35名無しさん@おーぷん :2017/11/15(水)12:46:16 ID:???
第一次宗門問題の時に反逆した元創価学会教学部長。女狂いで大酒飲みで人望も何の力もなかったが、山崎正友から“会長にしてやる”とそそのかされ、その気になって学会を裏切った。
昭和54年6月ごろから9月にかけて山崎から毎月20万円前後の金が渡っていたという。同年9月、原島が当時勤めていた聖教新聞社から資料を盗み出した時は50万円程入った封筒が「当座の小遣いに」と渡されている。さらに同年暮れには1千万円の現金が山崎から渡された。
その後、アル中と糖尿病で体はボロボロに。この原島の病状について、日蓮正宗(日顕宗)に復帰後、女房の冨久子が妙縁寺機関紙『ゑにし』(平成11年7月1日付)に次のように書いている。
「平成9年9月15日に主人の母が他界してから主人はだんだん元気がなくなり、永年の糖尿病の上に、不安神経症、うつ病となり、やむなく職場を休職となったのです。その日から張りつめていた糸がぷっつりと切れた様に主人にとってはすべてが恐怖の世界となりました。
人にもネコやカラスのなき声にもおびえ、ひと時もじっとしていられません。目はうつろになり新聞もテレビも見ることができません。さらに食物が通らず、水さえ吐くあり様で、ついには血を吐いて胸が苦しくなり、大きな声でうなっている状態でした。
さながら地獄絵図を見る様な毎日でした。夜も、眠ることが出来ず、暗いのが恐いのか、電灯は煌々とつけ、立ったり座ったりで、私もそばで眠れず身も心もずたずた状態になりました」
原島は糖尿病のため50代の時に重症の眼底出血、60歳で硝子体出血。平成9年9月には母親が死んだが、その葬式にも行くことが出来なかった。
また、糖尿性網膜症に加え「これだけ進んだ症状も珍しい」と診断された程の白内障で、脳神経も患って平成16年、両目は失明状態に陥った。
正信会を裏切って日蓮正宗の妙縁寺の法華講になったが罰の現証は全身に現れた。
糖尿性腎症で以前は1日3回、自分でインシュリンを注射していたが、その後は人工透析を続け、身動きもできないため紙オムツをつけていたようだ。肝臓病も肝硬変の直前まで進行し、不安神経症、鬱病、狭心症に加え、平成17年10月と11月に二度の脳梗塞。
その後遺症のため言語障害が起き、呂律が回らず、よだれも絶えず垂れ、タンがつまり、左手、右足の麻痺が生じて会話もできず、食事もノドを通らない日々で、まさしく生き地獄の苦しみが続いていた。
更に、腰にできた酷い褥瘡に8年間も苦しみ、三度の手術は全て失敗し、逆に酷くなった。左の耳の鼓膜には穴が空き、右耳は老化が進んで、殆ど聞こえない状態。パーキンソン病(手の震え、動作の鈍さ、歩行困難、幻覚症状)も患い、五感も内臓も破壊された。
36名無しさん@おーぷん :2017/11/15(水)20:57:37 ID:???
>>35
ようやく分かりました。
成田山に託けて、あれこれしていた貴方を。
狭い範囲の情報なので広い範囲の情報を求める勇気を出して下さい。
捕まっても本望でしょう。それが出来ない限りは、この板では未来が有りません。

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