- -pv
スレッドの閲覧状況:
現在、- がスレを見ています。
これまでに合計 - 表示されました。
※PC・スマホの表示回数をカウントしてます。
※24時間表示がないスレのPVはリセットされます。

あの日の情景

19名無しさん@おーぷん :2017/11/18(土)16:46:30 ID:yXe
人間の迷いは実に沢山ありますが、死に対するほど、それが深刻で語りきれないものはないと思います。
これだけはいくら他人の話を聞いても、本を読んでも結局自分一人の胸に起きる感情だからです。
私も軍隊に入るときは、それは決死の覚悟で航空隊を志願したのですが、日と共にその悲壮な謂わば自分で自分の興奮に溺れているような、そんな感情がなくなって来てやはり生きているのは何にも増して換えがたいものと思う様になって来たのです。
その反面、死ぬ時が来たなら、それは誰だって死ねるさ、と言う気持ちを心の奥に常に持つようになります。
然し本当に死ねると言っていても、いざそれに直面すると心の動揺はどうしても免れる事は出来ません。
私の今の立場を偽りなく申せば、このことなのです。
私たちは台湾進出の命を受けてジャカルタを出ました。
いよいよ死なねばならぬ、そう思うと戦に臨む湧き上がる心より、何か、死にたくない気持ちの方が強かったりするのです。
わざわざジャワから沖縄まで死ぬため旅を続けねばならぬ、そのことが苦痛にも思えるのです。

求道

戦死する日も迫って、私の短い半生を振り返ると、やはり何か寂しさを禁じ得ない。
死という事は日本人にとってはそう大した問題ではない。
その場に直面すると誰もがそこには不平もなしに飛び込んで行けるものだ。
然し私は、私の生の短さをやはり寂しむ。
生きるという事は、何の気なしに生きている事が多いが、やはり尊い。
何時かは死ぬに決まっている人間が、常に生に執着を持つということは所謂自然の妙理である。
神の大きい御恵みがそこにあらわされている。
子供の無邪気さ、それは知らない無邪気さである。
哲人の無邪気さ、それは悟りきった無邪気さである。
そして道を求める者は悩んでいる。
死ぬために指揮所から出て行く搭乗員、それは実際神の無邪気さである。

和歌

雲湧きて 流るるはての 青空の その青の上 我が死に所
下着より すべて換ゆれば 新しき 我が命も 生まれ出づるか
あと三時間の 我が命なり 只一人 歌を作りて 心を静む
ふるさとの 母の便りに 強き事 云いてはをれど 老いし母はも
このレスの続きを表示(16件)

新着レスの表示 | ここまで読んだ

名前: mail:





あの日の情景
CRITEO